「ホッとした」にホッとしないで。
ホッとした、スッキリしたに安心してはいけないという話をメインに書いています。
悩みを相談した相手には「聞いてくれてありがとう、〇〇した」って言うことがある。
〇〇に当てはまる言葉は、スッキリしたとか楽になったとかホッとしたとか。
相談を受けた方(家族、友人、カウンセラー等)はこの言葉にホッとしたらいけない。相談者が気を遣って言ってるだけだから。
なぜ、そんなことを言うか。
昨日久しぶりに消えたくなったから、しにたいと検索した。そうしたら、命のホットライン的なところで相談員として働いてる方のインタビュー記事が出てきた。「相談者からのホッとしたという言葉が嬉しかった」だとか、「感謝の言葉をもらえて満足した」だとか。相談者からの言葉で相談員に満足とはどうなんだろうか、、と思ったことがきっかけだ。このモヤモヤのおかげで一瞬消えたい思いがなくなった。
確かに相談員も人だから、感謝の気持ちを受け取ったら嬉しいと思う。けど、スッキリしたとか、楽になったっていうのは、相談員を思って発した言葉でしかないと思う。相談者からそう言われたときは相談者に喜びを表現するのは大切だと思うけど、本当にスッキリしたかどうかを気にかけないとだめだと思う。
カウンセラーとかよりもこれは家族とか友だちとかに相談したときのほうが言いがちなのかな。親や友人だと心配を掛けたくない思いからスッキリしたって言いたくなりがちじゃん。相談してると時間が経ってて申し訳ない気持ちから早く切り上げようとしてスッキリしてないのにスッキリしたって言ったり。
スッキリしたって言っても全然スッキリしてないよね!
もししても、その人と話している時間内だけだよね。その人と一緒にいる時間内だけだよね。
まあ、何が言いたいかってホッとしたという言葉にホッとしないで。ましてや、ホットライン的なところで働いてる方がさ。
親や友人もホッとしたスッキリしたという一言だけで安心するの早い。その後も話したり様子を伺ったりした方がいい。具体的にどう見守ればいいのかは分からんのだけど、声を掛けてくれるだけでも違うと思う。
あと、しにたいと検索して、相談員として働いてる方のインタビュー記事が出てくるのもいかがなものかと。手法みたいなのが書いてあったけどさ。
とにかく傾聴が大切だとか。寄り添うことが大事だとか。こんな相談員の裏話的なの知りたくないわな。(まあ傾聴の大切さなんてちょー知ってんだけどさ)しにたいと調べて手法が出てきても興醒めなんすわ。傾聴という手法を使ってくれてんだあとか知りたくない。
それに、本当に傾聴でいいのかも疑問。私は女の人の高い声のうーん、うんうん。といういかにも寄り添ってる感じの声が苦手。本当に聞いてます?って思ってしまう。(最近担当してくれているキャリア面談の方がそれでした)
結局、悩み相談というのは何の役割を果たすのだろうか。
相談して解決する悩みの問題ってない。
悩みを解決するには、当事者がなんとかするしかない。相談を受けた側は、話を聞くとともにこういう解決方法があるよというのを実体験であったり、行政の取り組みであったりを伝えていくことも大事なんじゃないかな。
悩みのタネは、就職、人間関係、男女問題、貧困、病気とかかなあ。
貧困とか就職の問題とかを悩ませる社会がくそだと思うけどね。となると、社会を変える必要がある。
悩みは尽きない。